2015年12月19日土曜日

現代都市政策研究会2015年12月例会案内


テーマ「メディアとコミュニティ」

講師 大橋一範氏(週刊きちじょうじ編集長)

 
大橋さんには、1982年2月の都市研例会にお越し願い、「吉祥寺村立雑学大学について」をテーマに一度お話を伺ったことがあります。当時、大橋さんは、地域のお祭りや地域の生活情報を細かく載せる「週刊きちじょうじ」の編者・発行に携わりながら、「吉祥寺村立雑学大学」の事務局も担われていました。奇しくもその年の1月例会は、私が練馬区で関わっていた「練馬市民大学」について例会報告をしています。吉祥寺村立雑学大学では、市民が入れ替わり講師となり、授業料、講師料、会場費ともに無料という、緩やかな関係で雑学大学が運営され、今年5月に亡くなられた松下圭一先生も武蔵野市民の一員として登壇されていました。現在も自分たちのコミュニティ空間として続けられています。

一方、1975年に創刊された「週刊きちじょうじ」。バブルが崩壊したあと、デパートがスポンサーから抜け、地元の商店主が会費を払って支えるなど辛い時期もあったようです。また、スマートフォーンなどのメディアの普及により読者への伝達手段も変化する中、紙媒体としてのタウン誌は、貴重な存在でもあると思います。長年、吉祥寺という地で活動し続けてこられた大橋さんが話す「メディアとコミュニティ」というテーマは、きっと薀蓄(うんちく)のあるお話になるのではないでしょうか。是非、ご参加下さい。

 (文責 室地隆彦)

. 日時 2015年(平成27年)12月20日(日) 午後2時~午後4時30分
 
2.場所  三鷹市駅前コミュニティ・センター4階会議室()

現代都市政策研究会2015年12月例会案内


テーマ「メディアとコミュニティ」

講師 大橋一範氏(週刊きちじょうじ編集長)

 
大橋さんには、1982年2月の都市研例会にお越し願い、「吉祥寺村立雑学大学について」をテーマに一度お話を伺ったことがあります。当時、大橋さんは、地域のお祭りや地域の生活情報を細かく載せる「週刊きちじょうじ」の編者・発行に携わりながら、「吉祥寺村立雑学大学」の事務局も担われていました。奇しくもその年の1月例会は、私が練馬区で関わっていた「練馬市民大学」について例会報告をしています。吉祥寺村立雑学大学では、市民が入れ替わり講師となり、授業料、講師料、会場費ともに無料という、緩やかな関係で雑学大学が運営され、今年5月に亡くなられた松下圭一先生も武蔵野市民の一員として登壇されていました。現在も自分たちのコミュニティ空間として続けられています。

一方、1975年に創刊された「週刊きちじょうじ」。バブルが崩壊したあと、デパートがスポンサーから抜け、地元の商店主が会費を払って支えるなど辛い時期もあったようです。また、スマートフォーンなどのメディアの普及により読者への伝達手段も変化する中、紙媒体としてのタウン誌は、貴重な存在でもあると思います。長年、吉祥寺という地で活動し続けてこられた大橋さんが話す「メディアとコミュニティ」というテーマは、きっと薀蓄(うんちく)のあるお話になるのではないでしょうか。是非、ご参加下さい。

 (文責 室地隆彦)

. 日時 2015年(平成27年)12月20日(日) 午後2時~午後4時30分
 
2.場所  三鷹市駅前コミュニティ・センター4階会議室()

現代都市政策研究会2015年11月例会感想



分権にも通じる補完性の原則と熟議

A.     S.        
 
水上教授は、すでに、顧問の不在や、試合をすること、勝つことを基軸にした部活が先細る中、スポーツを地域の中で、長く楽しんでいこうとする新しい道を示してくれた。

私自身も、個性を伸ばしたり楽しむことより、集団づくり、健全育成のための、教育のための部活になりがちなことに、違和感を感じ、危機感を持っていた。

地域総合型スポーツクラブは、補完性の原理にもとづく仕組みである、楽しむための補完、熟議を尽くすという話は、分権にも通ずるものであると感じた。また、簡単に言われがちな「ネットワーク」にも疑問を呈され、「レトリックへの共感」「エンパワーメントの必要性」そのための熟議を強調されたことに、大変共感を覚えた。

学校の施設を開放したスポーツ振興に取組む立場として、個人的には、小学校のとき以来の体育嫌いの身として、新しい方向に意を強くした例会であった。
以上です。本当に、興味深いお話だったと思います。

現代都市政策研究会2015年11月例会感想



分権にも通じる補完性の原則と熟議

A.     S.        
 
水上教授は、すでに、顧問の不在や、試合をすること、勝つことを基軸にした部活が先細る中、スポーツを地域の中で、長く楽しんでいこうとする新しい道を示してくれた。

私自身も、個性を伸ばしたり楽しむことより、集団づくり、健全育成のための、教育のための部活になりがちなことに、違和感を感じ、危機感を持っていた。

地域総合型スポーツクラブは、補完性の原理にもとづく仕組みである、楽しむための補完、熟議を尽くすという話は、分権にも通ずるものであると感じた。また、簡単に言われがちな「ネットワーク」にも疑問を呈され、「レトリックへの共感」「エンパワーメントの必要性」そのための熟議を強調されたことに、大変共感を覚えた。

学校の施設を開放したスポーツ振興に取組む立場として、個人的には、小学校のとき以来の体育嫌いの身として、新しい方向に意を強くした例会であった。
以上です。本当に、興味深いお話だったと思います。